【虚言癖】なぜ人はウソにウソを重ねていくのか《異種ワンテーマ格闘コラム(吉田潮)vsマンガ(地獄カレー)》
【連載マンガvsコラム】期待しないでいいですか?Vol.6
◼︎ 妹・吉田潮は【虚言癖】をどうコラムに書いたのか⁉️
この世の中にはいろいろな人がいる。自分を大きく見せるために、資産や人脈、人望があると噓をつく。あるいは、凄絶な人生経験で同情をかったり、破天荒な冒険譚で話題の中心を自分に向ける。そんな虚言癖の人に遭遇したことが何度かある。47年の人生で通算7名(全員女性)。縁が切れているので確かめようもないが、そのうちのひとりは本物の詐欺師だった。
後から聞いた話では、周囲の人もすっかりダマされたという。「あの女に1000万持ってかれたんだよ」と知人男性から地下鉄の駅でくやしそうに吐露されたときには驚いた。投資詐欺だった。当時20代だった私は、彼女のことを「羽振りと気風のいい、お金持ちのおばさん」と思っていた。仮に、モミジさんと呼ぶ。
モミジさんには超豪華な宴席に呼んでもらったことがあり、生まれて初めて芸妓遊びを経験した。どうやら彼女は投資話を信用させるためにお座敷を一席もうけて、カモをセレクトしていたらしい。私は小金持ちの知人にオマケで連れて行ってもらったのだが、モミジさんは実にわかりやすかった。歓迎すると口にしながらも、私のほうを一切見なかった。彼女の視界に私は入っていないとわかった。
その後。小金持ちの知人男性が見事にハメられたと知ったのだ。モミジさんはいつも高そうな着物を着ていて、女優の山村紅葉にどこか似ていた。
おっと、今回の話は詐欺師じゃなくて虚言癖だ。小学校のときにも学年にひとりはいたはずだ。噓をついて周囲の関心を集めようとするタイプが。
仮に、優ちゃんと呼ぶ。彼女は「私のママはJALのスチュワーデスだった」と話していた(お若い方、昔はキャビンアテンダントをスチュワーデスと呼んでいたのよ。憧れの、花形の職業だったのよ)。
ところが、噓は必ずバレるもので、学校内には本当にJAL勤務の親がいる子もいたりする。子供は残酷だが、ある意味まっとうな生き物で、噓に対する糾弾がやいのやいのと始まる。「〇〇ちゃんのお母さんに聞いたら、そんな人はいないって!」「ママが結婚する前だから名字が違う」「優ちゃんの名字の人もいなかったってよ!」「昔の話だから、登録がなかったのかも」「何年何月何日何分にスチュワーデスだったの?!」などなど。じわじわと包囲網が張られていくにつれ、暴くほうも噓をつくほうも躍起になっていく。当事者でないにせよ、この感覚はものすごく怖かった。噓をつくと必ずバレる。そして、つるし上げられるのだ、と。よくいえば早見優に似た彼女はどうなったか。確か引越していったか、私立の学校に入学したかで、いつの間にか姿を見なくなった。
これだけではない。虚言癖はいつか必ず罰せられると思ったのは、先輩の家で漫画『悪魔(デイモス)の花嫁』を読んでからだ。確か小学校低学年のときだ。
「虚言(うそ)のはて」という話で、登場する女の子・杏子ちゃんは、彫金細工の職人だが酒浸りの父と貧しい長屋暮らし。学校でも近所でも評判の嘘つき娘だった。
ところが、学校で「実は自分は元華族の娘で、外国帰りの従兄のためにパーティーを開く」とデカい噓をつき、友人たちを家に呼ばなくてはいけないハメに陥る。
この漫画、デイモス(見目麗しい男の悪魔)が人間の業を次々と炙り出すという展開なのだが、デイモスがなぜか近所の豪邸で杏子ちゃんと友人たちを待ち受けている。「窓のない隠し部屋に入っても、この家の娘なら秘密の通路を知っているから出られるはず」と、閉じ込められる杏子ちゃん。もちろん、貧乏長屋の娘が知るはずもなく、最後はデイモスに渡されたマッチで自ら火をつけて焼死するという話だった。子供心に、噓に噓を重ねると恐ろしい結末を迎えるのだと焼き付いた。
子供のときに「噓の代償がどれだけ大きいか」を知っておくことは大切だ。でも、大人になってからも、杏子のように自分を盛る虚言癖は次々と現れた。噓に噓を重ねてうまくいった成功体験を積み重ねてきたのだろうと思う。
とはいえ、噓がバレて次第に人が遠ざかっていくため、付き合いは長くは続かない。数年単位で周囲の人間関係がガラリと変わる人。それが虚言癖の特徴。今思うと、出会った虚言癖は全員賢くて、実に魅力的な人だった。とにかく話が面白くて、惹きつけられた。話を聞いていて「あれ? つじつまが合わないな」と感じて、ツッコミを入れると、その上をいくエピソードが語られる。些末なツッコミを入れる方が野暮、という空気を作り上げるのがうまい。
誰に対してもニュートラルな友人いわく、「虚言癖はサービス精神旺盛なだけ。ほとんどがヨタ話なのだから、楽しませてくれれば。噓かホントかなんて実はどうでもいい」。なるほど。成熟した大人の意見だなと唸った。
虚言癖が「主語は自分」で武勇伝を語っている分には、ほとんど害はない。ただし、主語が変わり始めたら要注意である。親しい人間関係を壊しかねない噓をつき始めたら、距離を置くサインだ。
たとえば、Aさんと私は長年同じ職場にいた先輩後輩で、仲良しではないものの、お互いの性格や仕事の流儀は知り尽くしている。でも、虚言癖、仮にミヤコちゃんと呼ぶ。ミヤコちゃんは「Aさんがこんなことを言っていた」と私に告げ、Aさんには「潮がこんなことを言っていた」と言い始めた。Aさんと私はお互いがそんな発言をしないとわかっているので、噓だと気づく。なぜそんな噓をつくのか。Aさんと私の仲を裂こうとしているのか。いや、そもそも裂くほど仲良しでもない。それでも信頼関係はある。この程よい距離を保った信頼関係というものが、虚言癖の人にはわからないようなのだ。
結局、ミヤコちゃんはあちこちで噓をついていたことが判明した。ある場面で周囲から糾弾されたとき、彼女はなぜか奇声を発して走って逃げた。大の大人が走って逃げるって! その姿を見たときに悟った。「虚言癖とわかった時点で離れるべし」と。楽しい時間を過ごさせてもらって感謝もしているが、ピンクの電話の竹内都子に似た彼女とは距離を置こうと決めた。それ以降、彼女は私をガン無視するようになった。目を合わせもしない。わかりやすくて笑った。今となってはネタである。
「サークルクラッシャー」という言葉がある。NHKの「ねほりんぱほりん」でもとりあげられたが、主に色恋沙汰を持ち込んで、親しいグループやサークルの人間関係をひっかきまわして破壊する、厄介な人間を指す。私の周りには色恋沙汰を起こす虚言癖はほとんどいなかった。仕事関係や友人関係で、印象操作をじわじわと行う人がメイン。私自身が実害を被ったことはないが、中には詐欺被害に遭った人もいたし、訴訟してもいいレベルの虚言に振り回された人もいる。
実害を被っていないからこそ、虚言癖に対する興味は尽きない。なぜ噓をつくのか。噓に噓を重ねていくのか。バレるような噓をついてもなぜ平気でいられるのか。罪悪感や後悔はないのか。そして、そこまで人を信用できない背景に何があったのか。とても気になっている。近寄りたくはないけれど、時折思いを馳せている。
白状すれば、虚言癖の人に夢中なのだ。その話術といい、強靭なメンタルといい、人間関係においては流浪の民というしたたかさとしなやかさに、心を奪われている。同情も共感も擁護も一切しないが、虚言癖の「製造過程」には大変興味がある。
不思議なもので、男の虚言癖には1ミリも興味がない。嘘つきはとっとと逮捕されて、根こそぎ滅びて末代まで恥じろと思う。男の虚言癖の大半が「俺ってすごいだろ」という単純な承認欲求に基づくから、ドラマがないのだ。唾棄して終わり。
一方、女の虚言癖には心揺さぶる何かがある。金でも地位でも名誉でもなく、噓をつく動機が単純でない分だけ闇が深い。生存戦略にしたってハイリスク。それでも挑むのは、真の賢者なのか、はたまたとてつもなく愚者なのか。
親友いわく、「潮は虚言癖ホイホイ」。何年かに一度は必ず虚言癖の知り合いがなぜかできる、というのだ。その頻度は五輪、4年に一度くらいかも。あ、今年あたりはそろそろ来るかな。お待ちしております。
(連載コラム&漫画「期待しないでいいですか」? 次回は来月中頃)
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